「なぜ?」仕事をするのか?「なぜ?」生きるのか?を考える。
昨日に引き続き「なぜ?」について考える。
「優れたリーダーはどうやって行動を促すか」というプレゼンテーマは、
置き換えれば自分の行動を促す動機にもなりうる。
そう、自分自身に「なぜ?」に対する明確な答えがあれば、
それは強烈な行動を促し、結果を生み出すはずです。
それではまず「なぜ生きるのか?」
いきなり重たいですw
普通に生きていて、なぜ生きるのか?を考える事は無いと思います。
でも、死に直面すると、急にこのテーマを考えるんです。
そう、人生に終わりがある事を気付くから。
これにいつ気付くか?それが、より良い人生を生きる一つのきっかけかもしれません。
人はだれの為でもなく、自分の人生を生きる為に生まれてきます。
それは、自分の人生に責任を持つという事かもしれません。
人間には欲求があります。有名なマズローの欲求。
そして、一番残酷な死は「孤独」だともいいます。
誰しも一度は、富や名誉に憧れるものです。
しかし、それだけを手に入れても実に空虚だと気付きます。
死を前にすると何の意味も無いから。
人生の価値は、自分の葬式をイメージすると分かると言います。
自分の嫁(旦那)、子供、親、親戚、同僚、友達などに、何と言って欲しいか?
あの人はお金持ちだった、あの人は偉かったよりも、
尊敬する、目指す人だった、愛情を注いでくれた、信念と情熱を持った。。。
金持ちや成功者が、晩年慈善活動をするのをよく聞くと思います。
人から必要とされる、ありがとう、笑顔、感激、歓喜。
人を感動させるのが最後にたどり着く場所なんじゃないだろうか?
以前、テレビでこんな番組を見た。
高級老人ホームに入居した人々の話。
そこにはホテルのような設備があり、コミュニティースペースでは、語らう事も、読書をする事も、あらゆる習い事を受ける事もでき、美味しい食事も準備されている。
まさに老後のシャングリラ。誰もが入りたい場所のはずだった。
所が、そんな毎日に慣れてくると不満が出てくる、
自分をもっと人の役に、社会の役に立てたい。
そんな欲求が生まれ、ボランティアで老人ホームを周り、
習い事で習った事を教えているという。
人は必要とされたいし、その見返りに喜んで欲しい生き物なんだろうと思う。
いろいろ書いたけど「なぜ生きるのか?」
それを、探し続けるのが人生だと思います。
だって、答えがある人生なんてつまらないでしょ?
それを自由に、自己責任で、それこそが自分の人生。
人の人生を生きてはダメ、自分の信じる道を歩まなければいけない。
それを信じて突き進んだ先に、より味わい深い人生があるんだと。
我が人生に悔い無し!
そう言えるよう、毎日を全力で生きていきましょう。